加美の葬儀屋さん日記

こんにちは
私事ですが、9月に受験した
厚生労働省認定、葬祭ディレクター試験の結果を報告します。



無事に1級合格証書いただきました。
結果が出るまでの約2ケ月間、ドキドキでした。
先輩たちは一発合格していて、私は恥ずかしながら2回目の挑戦でしたが金プレートを手にし、とてもうれしいです。
業務が忙しく、2日前からの練習でしたが、夜遅くまで付き合ってくれた社長、常務には感謝です。
今までとは違い、名刺にも1級葬祭ディレクターの肩書が入るので、気を引き締めて業務に携わりたいと思います。

ほんと嬉しいです。
K,K

加美の葬儀屋さん日記

朝晩、めっきり寒くなり秋を通り越して冬が訪れそうなこの頃ですが、皆様お変わり御座いませんか?
先日、私の母が他界しました。
父が亡くなってから16年経ちますが、母は歩くことも困難になり施設に7年弱お世話になっておりました。
月に何度か母に会いに行ってましたが、この2年半の間はコロナの関係もあり、面会もできず外の窓越しから手を振るのが精いっぱいでした。
母の記憶がかけていく中、私と姉が手を振っても、誰か分からなくなっていたのかも知れません。
様子がおかしいと施設から連絡が入ったのが、他界する5日前でした。
施設のかたに「施設利用者が部屋に入ったあとなら近くに居ていいよ」と言われ、弊社の方々には迷惑をかけましたが、夕方早めに退社させてもらい、付き添いました。
亡くなった日は葬儀があり、社長には休んでいいと言われましたが、他に担当を持っていたため出社しました。
その日は施設に泊まろうと思い、着替えも用意してました。
葬儀開式15分前に姉から連絡が入り、社長に「早く行け!」と言われ急いで施設に向かいました。



姉、私と私の娘2人が見守る中、母は乾電池が切れるように静かに息を引き取りました。

母を一人にしてしまった後悔がこみ上げてきましたが、亡くなった後は精一杯恩返しをしたい一心で気持ちを切り替えました。
社長は私たちの気持ちを分かってくれて、大事なことしか打合せしませんでした。私の意向で、一旦自宅へ安置しましたが、夜中にエンバーミングセンターへ走り、そのまま処置が終わるまで待ち、すぐに自宅へ戻していただいたり、ゆっくり送りたいというワガママも聞いてくれて和尚さんに掛け合い、初七日の葬儀に持っていってくれたり、祭壇もオリジナルの会葬礼状も、ラストレタームービー、スライドショー、サプライズのバナースタンド、立派な御寝棺、高級仏衣まで用意してくれました。
葬儀社で働く私が言うのもおかしな話ですが、私の会社でできる最大限のフルコースメニューで母を送り出してくれました。弊社の社長とスタッフには大変感謝しております。ありがとうございました。

社長はもちろん母とも面識があり、いつもお茶をご馳走になって帰るときは必ずヤクルトをもらってきたと涙ぐんでました。社長から、娘の仕事の素晴らしさをお母さんに伝えるためにも精一杯お世話させていただきます。と言われた時には涙が止まりませんでした。

父の時の葬儀とは全く違う葬儀でした。
社長のお付き合いが大半だったと思いますが、各業者さん、同業の社長さんからも過分なる配慮を賜り厚く御礼申し上げます。
葬儀社の役員だからこれだけできるんだろうと思われるかもしれませんが、私は母の恩返しと思っていましたので、最大限の想いで送り出したいと思っていたことを社長は何も聞かず準備お世話してくれました。
改めて、社長のヒアリング力と家族の想いをくみ取る力に感動しました。
私もお客様へ今まで以上の気遣いと想いをくみ取れるように精進して参ります。
母のおかげで今までよりも良いご葬儀とお世話ができそうです。

最後に姉と話したこと
「社長にヤクルトとみかんをあげているだけでこんなに立派にしてくれるんだ!」
と大笑いをしました。
皆さん、弊社社長に会った際には「ヤクルト」ですよ!
AO